中3担任、体育科、生徒会担当として、勝手にプレッシャーを抱え込み、運動会を控え、8月下旬から夜中に目が覚めるようになってしまいました。
眠れないから、頭が働かない。
そんな日々をなんとか乗り越えましたが、運動会が終わっても、夜中に目が覚める日が続きました。
そして、文化祭、合唱コンクール。
ますます大きな負担で眠れない日がこれで約1ヶ月になり、心療内科に行くことを決意しました。
初めての心療内科では、家族歴などいろんなことを聞かれました。
そして、薬を飲みながら働くこととなり、薬は少しずつ増えていきました。
今回の記事はこの続きです。
薬が強すぎて、仕事に支障が出る
2回目に処方された薬の量が強いように感じて、次の診察までこのままの服用を続けることが困難だったので、勤務中の合間をみて、心療内科に電話で相談しました。
すると、「この薬を減らしてみてね」というふうに言われ、その電話代金も次の診療でお金を取られるという仕組みでした。
まぁ、平日の放課後に病院に行く手間を省けたので、よしなんですが…
この時はうつがどうこうというより、薬を飲んでいるからぼーっとするみたいな感覚に近かったです。
そして、心療内科に通っていることは職場の人には言っていませんでしたし、周りに知られるのも嫌だったので、何事もないかのように普通に仕事をしていきました。
しかし、とうとう限界がきました。
できていたことができなくなる
ある日突然、朝のルーティンが崩れました。
4月から、5時半に起きて、夫の弁当作って、朝ごはん作って食べて、6時半には家を出ていたのに、
弁当を作る気力がなくなり、次は朝ごはんを作る気力がなくなり、6時過ぎに何とか起きて、5分で最低限の身支度をして、家を出るという日が数日続きました。
学校で1人な感じがした
そして、合唱コンクールは11月頭。
10月末になってもクラスの合唱は形になかなかなりませんでした。
こんな風に書くと、「中3にもなってそんなの教育がなってない」って言われると思います。
しかし、この子らとは3年間一緒にやってきて、毎年、合唱で戦って…
そんなのもわかった上でやっぱりしっかり歌えるようになって欲しかったし、毎日、苦戦しました。
他の先生にも協力をお願いしたりもしたんですが、「担任じゃないから関係ない」感がただよってて、どこかやっつけ仕事のような感じ。
私一人がやっているような感じがして、もうどうしようもなくて、正直、放課後のクラスでの合唱練習が苦でしょうがなくなりました。
くそ忙しいときに連絡でよい出張にうんざり
市内の中学校どこも文化祭、合唱コンクール直前。
そんな現場を教育委員会は分かっていないのか、文化祭や合唱コンクールの主担当になる学校の生徒会担当を集めて、連絡で済むような出張がありました。
出張のおかげで、合唱の放課後練習や文化祭の準備から「逃げられる」というずるい気持ちも正直ありましたが、教育委員会の現場の分かっていなさにうんざりでした。
もうすべてに疲れた
学校では一人で戦っているような気がして、周りの先生が味方ではない感じがしていましたし、教育委員会も現場がこのくそ忙しい時に必要のない出張を命令したり、この時、教育全体に急に冷めてしまいました。
そして、次の日の朝、いよいよ起き上がることができませんでした。
目が覚めた瞬間、「行けない」と思いました。
布団の中から、「体調が悪いので休みます」と学校へ電話しました。
この休んだ日は金曜日だったから、土日も休んで月曜からまたって思いましたが、もう何もかも嫌になっていました。
続きはこちら↓
コメントを残す