教員がパニック障害・うつになった記録⑦はじめて仕事を休む

 

2014年11月末。

はじめて仕事・学校に行きたくなくて、病気でもないのに初めて休みました。

(今思えば、プチうつだったのかもしれないですが)

 

木曜日:はじめて仕事を休む

この初めて仕事を休んだ日は木曜日。学校へ電話で連絡をしました。

 

私は普段、学校へは7:00には行っていました。

朝これくらいの時間にいるのは、私ともう一人の学年の先生くらいだったので、その先生が取ってくれるだろうと予想し、7:15ごろ電話をしました。

予想通り、その先生が電話を取ってくれました。

 

「今日は、休みます」

 

泣きそうになりながらもそれしか言えなかったんだけれども、その先生は昨日のこともよくわかっていた先生だったので、それで理解していただけました。

 

そのあとはとりあえず、お昼まで寝ました

 

「時間を気にせず寝たの、いつぶりだろー・・・」と気持ちよさ半分、

「休んじゃったなー」と罪悪感半分のような気分。

 

当時は実家暮らしだったので、午後からは居間に行き、ボーっとテレビを見ました。

そして、また寝ました。

今までの疲れを全てリセットするかのように、寝るか、ぼーっとするかを繰り返した1日でした。

 

金曜日:回復せずまた休む→父とウォーキング

「一度休むと行きづらくなる」

それは知っていましたが、本当にそうでした。

休む前は休む方が勇気がいりますが、1日休むとそんな心配どうでもよくなりました。

おそらくまだ疲れが残っていたのもあったとは思います。

 

「なんか、もういいや…」

と投げやりな気持ちもありました。

 

次の日の金曜日も学校へ連絡してお昼まで寝ました

起きてその後、居間でも寝ました。

 

さすがに同居していた父が見かねて、「散歩行かないか?」と連れ出されました。

まぁ、今までバリバリ仕事していた娘が急にこんな風になったので心配してくれ、あまりに寝すぎていたので気晴らしに誘ってくれたのではと思います。

 

近くに自然豊かなウォーキングコースがあるので、父10m前後の間隔を保ち、ウォーキングを1時間ほどしました。

ランニングやウォーキングは正直言うと嫌いで「何のために走ってるんだろー?」って思っちゃう性格で(体育教員なのに笑)

「歩くのめんどくさいなー」と思う中にも、この時は少し「なんか気持ちいいなぁ」と思えました

 

土日:休日なので堂々と休む

そして、土曜日は今の旦那(当時はまだ結婚していない)と会って、紅葉を見に連れて行ってくれました。

なんか久しぶりにゆっくりと自然を見た気がしました。

 

日曜日もひたすらダラダラしました。

中学校の教員をやっていて、土日両方しっかり休める機会もそうそうないので、貴重な土日でもありました。

 

さて、月曜日

私は結局この時、木、金、土、日と4日間休みました。

惰性で「月曜にも行きたくないな」と思いましたが、

父に「とりあえず行け!行ってしまえば何とかなるワイ!」と言われ、子どもみたいに渋々行ってみたら、はじめは気まずかったけども、普通に仕事をすることができました。

先生方もクラスの生徒も察してくれてか、ほとんど掘り返すことなく迎えてくれ、ありがたかったですね。

恵まれていました。

 

この4日間の何にもない休みは私にとってはすごく大きかったです。

一度休むと、それに甘えてその後もダラダラいってしまうというのもなくはないですが、

「疲れたら、何も考えずひたすら休むことが大事ということ」

「人間、休むだけ休んだあとは自然と『何かしたいな』と活力が湧いてくる生き物だということ」

を身をもって体験しました。

この4日間の休養後、その年度は休むことなく、無事?仕事に行くことができました。

その次の年度もこの学年を持ち上がり、中2の担任になり、さらに苦戦しながらも、この出来事を機に乗り越え?、パニック発作が起きないように抗不安薬を飲みながらですが、この1年も「なんとか」乗り越えました。

 

今思うと、私は懲りもせず、この後もストレスをまたためていたんだと思います。

 

2016年夏。さらに持ち上がり中3の担任となりました。

学年は落ち着いていったにも関わらず、私ははじめての中学3年の担任というプレッシャーを感じ、またしてもストレスをためてしまいます。

次の爆発は涙という形ではなく、2年ぶりの過呼吸という形で私を襲ってきました。

 

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