こんにちは、みほ@miho1araです。
公立中学校の保健体育の先生を8年やっていましたが、
パニック障害、うつになり、休職し、退職しました。
パニック障害(はじめはPTSDと診断されましたが)はプールの塩素の機械を触っている時に、塩素ガスが充満し、急に発症しました。
詳しくはこちらの記事をみてください。
一つ一つは長くないので5記事あってもサクッと読めてしまうと思いますのでどうぞ。
2014年7月、まずPTSDと診断名がくだります。
しかし、このプール事件だけがのちのうつの原因ではありません。
プール事件を機に不安感が強くなり、ストレスを感じやすくなりました。
そして、そのストレスを発散するのが下手くそな私は一気に爆発してしまうのです。
プール事件の年の秋で出来事。
この記事では「ストレスが一気に爆発してしまった時の話」をしたいと思います。
ストレスを抱えやすい仕事の担当になる
プール事件が起きたこの1年、私は1年生の担任であり、学年の生徒指導でもありました。
学年には初任の先生が複数、講師の先生、学校全体生徒指導の先生も所属していたため、自動的に私が学年の重たい仕事をしなければならない1年でした。
そして、当時の私は「自分が頑張らねば!!」と意気込んでいました。
しかし、学年の生徒指導という立場の私でしたが、正直きつく言ったりするの得意じゃないことに加え、問題が起きても、どう解決に持っていけばわからないことが多く、それがストレスにもなっていました。
学年の生徒指導なのに、自分のクラスで精一杯
学年の生徒指導ももちろん大変でしたが、その前に自分の担任していたクラスのAくん。
当時は自分の感情をコントロールすることができなくて、自分の納得いかないことがあると、周りに危害を与えるくらい暴れることがありました。
2014年11月末。事件は起こりました。
私のちょっとした不注意が原因でAくんが暴れました。
プリントなどをぐちゃぐちゃにして床にばらまくわ、そのあたりにあるものをとりあえず投げるわ…
私が原因で暴れてしまったので私一人では抑えることもできず、他の先生にも来ていただき、散らかっていく教室をひたすら掃除していると、涙が出てきました。
教室で泣いたのは教員やっていてこの時がはじめてでした。
緊張の糸がぷつんと切れて、涙が止まらない…
涙が出たのは、
「自分は学年の生徒指導なのに、自分のクラスでさえ精一杯なんて情けない」
「今まで何とか耐えてきたけど、もう限界だ…」
と感じたからだと思います。
今まで何かあっても人前では泣くのを我慢できる方でしたが、この時はダメでした。
毎日毎日生徒指導がありすぎて、いろいろ抱えすぎて限界だったんだと思います。
事件が起きたのは授業の合間の休み時間中で、次の時間はたまたま空きだったので、顔は涙でぐしゃぐしゃで、人に見られたくなかったから、一人になれるところに移動しました。
これまで生きてきて、泣いても5分ほどで冷めるのに、この時はびっくりすることに30分以上も涙が止まりませんでした。
「4月から自分なりに頑張ってきた。でも、うまく指導できない。でも、やるしかない。」
「逃げたいけど、逃げるわけにはいかない。けど、自分には重たすぎる」
今まで我慢してきた分が、溢れてきた感じでした。
放課後、職員会議がありましたが、学年の先生の配慮もあり、この日は早退しました。
次の日、いつもどおりの時間に起床しましたが、今までの「なんとなく学校行きたくないな」という気持ちとは次元、レベルが違う「学校へ行きたくない気持ち」でいっぱいでした。
そして、この日、教員になってはじめて行きたくなくて仕事を休みました。
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