教員がパニック障害・うつになった記録①きっかけはプールの塩素 

 

私は、公立中学校の保健体育の先生を8年やっていましたが、パニック障害、うつになったので、休職を経て、教員を退職しました。

この記事では、これまで健康で体が強かった私が、パニック障害になったきっかけをお話ししたいと思います。

そして、この事件が私がこのブログを作ろうと思ったきっかけです。

 

パニック障害が発症したきっかけはプールの塩素

私自身は中学校まで水泳バリバリやっていましたし、大学のアルバイトもスイミングスクールでやっていたので、プールの塩素には比較的慣れている方で、むしろ塩素の匂いをかぐとなつかしいとすら感じます。

 

スイミングスクールのアルバイトでは、塩素を入れることもやっていました。

ここでは液体の塩素をプールのろ過器とつながっている滅菌器に入れるタイプでした。

たまに入れるの失敗して、手につくとヌルヌルして、手が荒れた覚えがあります。

 

私が関東で勤めていた学校にもプールの授業はありましたが、ここでは直径5cmくらいの塩素のタブレットを手動で溶かして入れるタイプで難しいことはありませんでした。

 

2014年6月。4月からほぼ休みなく働き、学校で水泳が始まる時期。

私はこの学校に異動してきて1年目は特別支援学級でしたが、2年目に保健体育を受け持つことになりました。

 

この年に、この学校で初めてプールのろ過機、塩素の注入機を触るので、前年度までのこの学校の体育の先生に来て頂いて、もう一人の体育の先生と一緒に機械の扱い方を教えてもらいました。

この学校はろ過機とつながっている滅菌器に5mmくらいの粒状の塩素を入れるシステムでした。

写真:学校プール.com、理水化学株式会社

特に難しいこともなく、一通り教えてもらい、次の日の朝一番、教えてもらった通りに機械室で滅菌器に塩素を入れました。

 

すると、なぜかものすごい刺激臭が漂ってきました。

 

すぐに機械室から出ればいいものの、

みほ
なんで昨日はうまくいったのに、どうして? ここを触ればいいんだっけ?

としばらくそこにいてしまいました。

みほ
もう限界・・・

というところで機械室から出ました。

 

パニック障害のきっかけは塩素。大変なのはこれからの不安

機械室から出たものの、しばらく動けませんでした。

呼吸がヒューヒューいう。

心臓がやたらばくばくする。

こんなパニック状態初めて。

なんとか歩いて、意識もうろうとしたまま職員室に向かいました。

 

もう一人の体育の先生に、やっとのことで状況を伝え、言い終わったら安心したのか、力が抜けて過呼吸。人生初。

あとで聞いた話、この時、顔真っ青だったらしいです。

保健室に運ばれ、学校医に連絡してもらい、状況を伝えてもらいながら待機しました。

 

私は人生初の過呼吸に

みほ
死んでしまうんじゃないか

なんて考えながら、必死に耐えました。

本当に死ぬんじゃないかって思いました。

 

電話ごしに学校医からは塩素中毒だろうということで、しばらく空気のいいところで安静にしていれば大丈夫ということなので、しばらくそのまま待機し、過呼吸もおさまってきました。

手のしびれはあるものの、学校医が大丈夫というので、病院には行かず、自宅に帰り一日安静することにしました。

 

もともと少し心配性な私はこの事件をきっかけに加速しました。

 

一人でいるのが不安。

誰か一緒にいてほしい。

また過呼吸が起こったらどうしよう。

 

この事件をきっかけに私のパニック障害の苦悩は始まりました。

 

続きの教員のパニック障害の記録②はこちら↓

教員がパニック障害・うつになった記録②何気ないことばでフラッシュバック

7月 24, 2019

 

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