こんにちはーみほです。
公立中学校の保健体育の教員をしていましたが、パニック障害やうつで休職し、休職中に「あれ?学校ってなんかおかしくないか?」と気づいてしまい、
Twitterやブログでいろいろ発信していたところ、教育委員会にバレて
「Twitter、ブログ辞めて、教員続けるか」
「教員辞めて、発信続けるか」
の選択を迫られ、「教員辞めて発信を続ける」をなぜか選んだしまった元アホ教員です。
発信を選んだのは直感もあるのですが、理由もあります。
発信をするために教員を辞めたという理由もありますが、単純に教員を辞めた理由もいくつかあります。
そのうちの1つ、今回は「今後の30年を想像するとゾッとしたので教員を辞めた」という話をしたいと思います。
これ以上仕事が増えることが想像できなかった
私が休職しだしたのはちょうど30歳のとき。
当時抱えていた主な仕事は
- 担任
- 部活動主顧問
- 生徒会主担当
- 他教科指導
でした。
自分のキャパが小さいのでしょうか、個人的にはこの仕事量は重たいと思うんですよね。
なぜこう思うかというと、多少教科の都合で仕方ないところを考慮しても、明らかに仕事量の差が激しいこと。
教員の世界は比較的どこもあると思うのですが、仕事をすればするほど増える矛盾があるように思います。
言ってしまえば、仕事しなかったら、仕事が回ってこないという意味です。
妊娠、出産、育児、介護など、誰もが仕事ができない時期も来る可能性があって、それをカバーし合うのは当たり前。
でも、「若いから」「体育教員だから」「できるでしょ?」みたいなのは違う気がしたんですよね。
校長からしても、無難にスムーズに仕事が進んだ方が楽ですからね。
で、このまま教員を続けていた場合、さらに大きな仕事があります。
進路指導主任、研究主任、学年主任…
そうなると今やっている役割はまた違う人に回るのが普通なんですが、私の当時の場合、役割が減ることがなくて、ほとんど追加しかなかったので、本当に恐ろしかったです。
また、学校教育全体も道徳の教科化や、プログラミング教育の実施など、追加はどんどんあるのに、削減がほとんどない…
追加ばかりで減ることがないことが多い学校という組織。
そんなことを経験してしまったので、30年後の仕事量の多さはゾッとしますね。考えたくもないです(笑)
学校は変わることが難しい
と思ってるそこのあなた!
学校を変えるのって大変なんですよ。
学校教育は国の文部科学省から始まっている国の組織です。
今現在、多くの学校で多くの先生がいっぱいいっぱいです。
学校の先生が大変なのを解決するには
「人員を増やすこと→教育の予算を増やす」
でかなり解決すると思います。(他にも、外部化などいろいろありますが)
しかし、国にお金の余裕がないのはみなさんご存知ですよね?
なので、国からしたら、
という見方もできます。
学校教育の元は国です。
国が大きく変わらないように、学校教育も大きく変わることはそう簡単には起きないでしょう。
未来に対して悲観するということは現状に満足していないということ
単純に今楽しいと思っていれば、30年後もきっと楽しい未来を想像しているだろうと思っていて、
私がその当時、30年後を悲観していたということはその当時現在すでに無理していたということ。
無理するのは単発ならいいですが、それが日常になるのは本当に危険です。
本当に好きなことでも、今がつらくても頑張れるくらいが限度なんですよね。
私が30年後を悲観してしまうのは、その限度超えてたんでしょうね。
そうすると、
- 今の環境を変えるしかなかった。
- 環境に任せても現状は変わらないので、自分が変わった方が早い。
- だから、教員を辞めた。
という感じです。
教員辞めた経験があるは強みかも?
というわけでダークな話になりがちな教員辞めた話ですが、あまりない貴重な話だと思いますんで、これからも赤裸々に語っていきます(笑)
…これからも、語り続けます…!!
*教員じゃない方で学校に携わっている方と対談した時の話。
→学校教育を変えるのは難しい。ムーブメントを起こすか。
*すぐ辞めなくていい。立ち止まるだけでもしてみるのオススメ
→無料で自己分析!ちょっと違う世界のぞいてみるのもよし
→教員が視野を広げたほうがいい理由とその方法