教員が感じた学校教育あるある「激励」は時に凶器と化する

 

「学校の先生の働き方がブラックだ」

こんなことが報道されるような世の中になりました。

 

私は2016年秋にパニック障害、うつ状態で休職することになり、2018年末に教師として復帰することなく、退職いたしました。

 

なぜ、休職することになったのか。

 

私が休職した当時は中学校3年生の担任。1番大事な時期。

そして、私の夢というか、教員としての1番初めの目標は、「3年間持って卒業させること」でした。

 

教員8年目にしてようやく達成できそうだった目標があと5ヶ月どうしても耐えられませんでした。

表面的な理由は、いろんなプレッシャーでストレスを勝手にためて、(発散するのが下手だから)睡眠不足がもう限界すぎて、体を起こすのことができなくなったから。

 

そのストレスとは?

 

これもいろんなものが重なりすぎたと思います。

このブログにもその「いろんなもの」を書いていますが、

今回の記事はその「いろんなもの」の一つ、激励や頑張れということばは弱っている人間に対しては凶器であるということを記事にしたいと思います。

 

まずは学校で「孤立」を感じた

私は3年間、この学年の担任をしてきました。

学校規模も大きくない割に異動も結構あり、学年の職員も少なく、1年生から持ち上がっているのは私だけ。

この学年を1年生から見ている私としては、3年生になるまでめちゃくちゃ成長したと感じていましたが、その分スーパー苦労しました。

 

入学してきた時から

  • 強いものが弱いものを牛耳る
  • いじめられないように、変にでしゃばらない
  • 大人しくしているのが、1番正解

みたいな異様な雰囲気の学年。

 

これは想像もかなり入ってるけど、小学校のときからやんちゃで先生も力で抑えるしかしてこなかった、できなかったパターン。

中学校に入ったら、力ではねじ伏せられない。

っていうか、そんな教育間違ってるし。

 

一般的に見たら、その学年相応のレベルより低いかもしれないけど、この学年なりに成長してきたのは確かだと思います。

でも、それを分かちあえる人がどんどんいなくなりました。

 

「一般的」レベル以上の強要でストレス

まず私が耐えられなかったのは、異動してきたばかりの先生が、この学年を見て、「一般的に」レベルが低いというようなことを言ったこと。

確かに外から見た視点は大事だけれど、私としてはこの3年弱が否定された気持ちになりました。(被害妄想もかなり入ってると思いますが、否定された気持ちになったのは事実)

 

これまた被害妄想入っていますが、

  • 一緒の学年でやってきた人がいないこと
  • 今一緒に学年を持っている人が他人事のように話すこと
  • この学年の成長を知っている人も私がこんな気持ちになってることも知らないこと

 

今思えば、自分がやってきたことに自信があれば、「何くそ!」って思う元気があれば、耐えられたのかもしれないけど、完全に気持ちが滅入っていました。

言われた否定的な(に感じる)言葉をダイレクトに受けてしまっていました。

 

弱っているときの「激励」「励まし」「がんばれ」は凶器でしかない

私自身、教員の醍醐味は、「担任をすること」だと思っています。辞めた今でも。

 

個人的には、初任から2年間副担任だったので、2年目は特に早く担任をやりたくてしょうがありませんでした。

実際、初めて担任をした3年目は最高に楽しかったです。

 

それからはありがたいことにずっと担任をすることができましたが、もちろんその分大変なことや苦労もあります。悩みます。

 

そして、スーパー悩みまくっていた休職する直前の

「その仕事は担任しかできないよ」

「担任の先生が言えば分かってくれるよ」

っていうさらにプレッシャーがかかることば。

 

言った本人は私を元気づけるために言ってくれてると頭では分かるけど、この時はプレッシャー、ストレスでしかなかったです。

 

むしろ「担任じゃないあなたに何が分かるんだ」「なら、あなたがやってみろよ」と思ってしまいました。

今思えば、相当すさんでいますね私(笑)

 

でも、弱っている時に「もっと頑張りなよ」って言われることほどきついことはないなとこの時思いました

一応、30歳という年齢の大人でもしんどかったのに、これ、子どもだったら相当しんどくないか?

同時に、わからない人にはわからない感覚でもあるなと思いました。

特に叱られて伸びるタイプの人は分かりにくいでしょうね。私は俄然、褒めて伸びるタイプです。

 

そして、自分がこの時してほしかったように、自分は寄り添える人間になろうと強く思いました。

その後、そのことば言ってきた本人も察したのか、次は「あなたの思う通りやればいいんじゃないの?」というようなことを言いました。

それを聞いて、心のねじ曲がってしまっていた私は「は?今さら?」ともう受け付けなくなってました。

 

寄り添うタイミングを間違えると見捨てられたようにしか感じなくなります。

人間の感情ってわがままで勝手で怖いですね。

 

でも、こんなことがあっても、もし、もう一度教員として戻るとしたら、担任をやりたいなと思います。

何にも知らない外野と戦うことがあったとしても。

 

結局、教員も生徒も学校教育に縛られている

今、退職して思うこと。

「これって学校だからこその悩みだなー」と。

 

人間、究極はいろんな考えがあって、いろんなみている世界があって、それぞれがそのままでいいはず。

けど、学校としてはそういうわけにはいかないんだろうな、と。

 

これくらいの基準はこの年齢で身につけさせなくちゃいけない指導要領があって、それができなくて、基準に合っていないと次の学習も身につかなかないから、せかすように指導する…。

しかも、集団教育だから、個人に合わせてゆっくり指導していられない。

 

結論、人間として器を大きくして、なんでも受け入れられるようになるには、学校の教員やってると遠のく気がします。

このことについても、教員を退職して正解。

いつも見えない何かに縛られている気がしますな。

 

 

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