と「自分って少数派なのかな?」って思うことが、しかも頻繁にありませんか?
ま、このブログを読んでいる時点で少数派です、きっと(笑)
いきなりなんですが、私、欅坂46の「サイレントマジョリティー」が好きなんですよね。
実は、欅坂46の「サイレントマジョリティー」を知ったのは、休職する前に中3の担任をしていた時のクラスの男子。
その男子が夏休み明けたら、いきなりめちゃくちゃ欅坂46にハマってまして、教えてもらいました。
しかし、「この曲、最高にいいこと言ってるなぁ」と思ったんですよね。
先行く人が振り返り 列を乱すなと
ルールを説くけど その目は死んでいる
この世界は群れていても始まらない
選べることが大事なんだ 人に任せるな
見えやプライドの鎖に繋がれたような
詰まらない大人は置いて行け
(「サイレントマジョリティー」から引用)
「自分も一応大人だけど、こんな風に生きていきたいよな~」と聴けば聴くほど思いました。
中学生ながらこの「サイレントマジョリティー」を勧めてくれたこの男子は、確かになんだかんだいつでも自分の意見をきちんと持っていました。
「サイレントマジョリティー」とは、直訳すると、
「サイレント=静かな、黙っている」「マジョリティー=多数派」なので、
「静かな多数派」「ものを主張しない多数派」というような意味。
言い方はよくないかもしれないんですが、学校教育ってサイレントマジョリティーを作りやすいんですよね。
担任と生徒40人で1単位とされ、集団で行動することがルール。
学年が下になればなるほど、自由はほとんどなく、先生が先導して動くことが多いです。
そして、多くの決め事は話し合いの末の多数決。
それがダメというわけではなくて、むしろ集団で生活していたらしょうがないことだと思います。
そうしたらこんな世界(学校教育)でどうやってマイノリティー(=少数派)は生き抜けばいいのか。
今日は教員を辞める選択をしたマイノリティーな私が、
「マイノリティーはどうしたらいいのか」
「少数派やどうやって生きていったらいいのか」
的な感じで記事を書こうと思います。
マジョリティー(多数派)の危険性を知る
例えば、クラス40人で学級レクで何をするか、バスケットボールをするか、ドッジボールをするか、多数決をしたとき、30人がバスケットボール、10人がドッジボールにしたとしましょう。
まず言えるのは、どの集団でも、ほぼ2:6:2の法則が働くので、30人のバスケットボールに手を挙げたうち、本当にバスケットボールをやりたいのは10人きる可能性があります。
では、残りのバスケットボールに手を挙げた人は何を考えているのか。
多くは「どっちでもいい」なことが多い気がします。
なんとなく話し合いの雰囲気がバスケットボールに傾いているのか、人間関係を見てバスケットボールの方が無難そうだなと感じていたりとかありえます。
ある意味、人に合わせて決めるのも今後周りとうまくやっていくための策略かもしれませんが、少なくとも「多数派に流れておけば、楽」という心理もあるはずです。
これは学年が上がるほど、その傾向が強い気がします。(あくまで私の主観)
もう話し合うことがめんどくさかったり、考えるのもめんどくさい。どっちでもいい。
場面が極端すぎますが、大人になってもこういうことって少なからずあると思うんですね。
「大体はリーダーについていくだけ。考えなくてすむから」
そして、組織はこれをうまく利用している側面もあります。
下のもの(言い方が悪くてすみません)に有無を言わせず、考えることをわざとやめさせる。
そうすることで、下のものも言わないことがクセになって、考えることを自然に放棄してしまう。
これが多数派を大事にする組織の恐ろしさでもあります。
少数派の人間は、自分の頭で考えている
最近思うのは、少数派はきちんと考えを持っているということ。
たまに、単純にみんなと違う方が好きという人もいますが、
基本、日本人ってみんな一緒だと安心する人が多いのですので、わざとそれだけの理由で少数派になっていることって少ないと思います。
なので、少数派と言われる人は自分の頭で考えて意見を持っている人がほとんどだと思います。
そして、多数派の勢いに屈することなく、冷静に物事を判断できる人も多いような気がします。
大事なのは、多数派であること、少数派であることという所属ではなくて、自分の頭で考えているかどうかということ。
もちろん、多数派でも自分の頭で考えて選んでいる人もいます。
同時に多数派は自分で考えないで、流されている人が多数いるということです。
その「考えない、流されるだけの多数派のサイレントマジョリティー」にはなりたくないですね。
自分の考えを持つことが究極の教え
特に大事でない部分は流れに任せるというという選択も消耗しないためには大事で、人生すべてに自分の考えを持った方がいいとまでは言わないですが、
基本的に「みんなそっちに流れているけど、それって本当に正しいの?」って考えることってかなり大事なことだと思います。
特に、義務教育で集団で生活する時期。
この時に自分で考えず、サイレントマジョリティーになったり、多数派に流れてばかりだと結構まずいなと思います。
でも、学校は集団生活。
正直、少数派や集団から外れようとする生徒がいると40人相手にしている教員としてはまとめつづらいです。
でも、そんな生徒を邪険に扱ってはいけないです。(ちょっと言い過ぎですが)
そんな少数派こそ、世の中で活躍できる時代になってきていますし、その子達がのびのびできる環境が必要だと思うので、私はそういう場所を作りたいなと思っています。
少なくとも、学校の現場で少数派を非難したり、仲間外れにしたりすることはなくなってほしいなと思います。
*少数派を大事にしたいというよりは、子どもに選択肢をたくさん持ってほしい。
→学校教育の批判じゃなくて共存を目指す~グッバイ公務員イベントにて~
*少数派のあなたはまずこの本読んでみて。別に集団生活が合わないなら、不登校もありだと思う。
→『学校は行かなくてもいい』レビュー!学校に行かない選択肢が認められてほしい
人と合わせて行動するの苦手だなぁ。
自分だけなんか違う気がする…自分って変わってるのかも…