そう思っているあなた。
そのしんどさはどこからくるものでしょう?
- 仕事の量が多くて、肝心な授業準備まで頭が回らない
- 残業しても給料もらえない
- 経験の部活動の顧問をしなくちゃいけない
- 保護者が無茶な要求をしてくる
- 生徒がなかなか思うように行動してくれない
教員がしんどいといってもいろいろ理由があると思います。
私はパニック障害からうつになって休職し、復職せずに教員を退職しました。
うつになった原因の一つに、「教員として振舞うべきと思っている声」と「自分の心の声」の溝が大きくなってきたことがあります。
思っていることと言っていることが違うとストレスがたまるというのを身をもって経験しました。
- 家庭の事情で遅刻が多いのは仕方ないと思うけど、間に合うように来なさいと言わなければいけない
- その理由で学校に行きたくないなら来なくてもいいと思うけど、来るように言わなければいけない
- この子はスポーツが得意だけど、受験があるから勉強しなさいと言わなければいけない
- 年々成長しているのが分かるのに、一般的にはレベルが低いからもっとがんばれと言わなければいけない
「本当は1人の人間としては〇〇と言いたいけど、教員としては××言わなければいけない」ということに違和感を感じまくりました。
教員を辞めて3ヶ月経った先日、3年間見た部活の学年の子たちが高校卒業のタイミングで集まるということで、私もお誘いを受けました。
ちょっと行くのもためらったけど、私が休職する前に卒業した子たちだったので、そんなに気負いをせずに会うことに決めました。
とても楽しい時間でしたし、卒業していった子たちが、近況を知らせてくれること、その過程で成長を感じられることがとても嬉しかったです。
そして、やっと教員としてではなくて、1人の大人としていろいろ話すことができたなと思いました。
この卒業生と会ったことをきっかけに「教員の醍醐味」を感じると同時に「教員という立場の矛盾があったこと」を感じました。
「教師として目の前の1人の子どもにどう言ったらよいか。」
しかし、現実は1人の子どもではなく、数十人相手に指導することも多い教員という立場。
このジレンマは子どもを思う教員こそ発生すると思っています。
このジレンマについて思うことを書いてみようと思います。
教師はその子にとって貴重な1人の大人
「教師にとっては40人の中の1人の子ども、子どもにとってはたった1人の先生」
この言葉はよく聞くと思います。
この言葉が全てを物語っていて、教師という立場は1番に何を守らなければいけないのか。
例えば、担任の先生の場合、「担任するクラスの安全・安心を一定レベルで保つこと」だと思います。
そうすると大多数の子どもはある程度満足しますが、少なからず不満を持つ子も出てくるでしょう。
クラス全員が満足する完璧なクラスなど無理で、集団にはどんな集団でも2:6:2の法則があらわれると思っていいと思います。
教員のつとめは「クラス全体を80%居心地の良いものにする」だと私は考えます。
そして、そうは言っても20%の生徒が気になる私みたいな人もいるでしょう。
完璧を求めるわけでないけれど、一人一人の気持ちを考えたら、20%の生徒を切り捨てられるわけないです。
全体指導で80%の子どもたちをある程度満足させて、20%は個別対応をする。
これができれば、クラスはだいたいまとまっていくと思います。
何度も言いますが、1人の担任が40人全員の気持ちをくんだ学級経営という完璧なものは無理です。
「教師にとっては40人全体を意識、しかし子どもにとってはたった1人の先生。」
その中で子どもで「先生は40人見てるからしょうがないよね」と理解できる子は少ないですから。
教師という立場が邪魔をする
上の内容と少しかぶりますが、教師は学校という教育の場の構成員の1人。
学校の規律を率先して守らなければいけない立場でしょう。
しかし、子どもに寄り添えば寄り添うほど、学校の規律と合わなくなる場合があります。
例えば、よく遅刻してくる子がいるとして、学校の規則として「遅刻はダメだよ」というと思います。
しかし、その子の家庭環境で仕方のないこともあります。
1人の大人として、子どものことを考えたら「その状況でも毎日学校に来てえらいね」なんです。
しかし、教員としては「遅刻したらダメだよ」と言ってしまう、言わなければいけない状況でもあります。
子どもの立場で考えれば考えるほど、教員としていうべきか、1人の人間としていうべきか、板挟みになるような気持ちになります。
私はこれが結構しんどくて、教員という立場にいることが苦しくなることが多くなりました。
だから、教員を辞めて、学校の構成員、教員の1人として接する必要がもうなくなったことと、
今は家庭教師などで、子どもと関わることがありますが、1人の大人として、人間としてだけで接することができるので楽です。
教師はこれから1人の大人として子どもと接することが大事になる時代
今の世の中、生きていく方法は多様化しています。
戦後の日本は、企業に勤めることが多くの人が生きていく方法でありましたが、今では企業に勤めなくても、自分で仕事を作ることさえできる時代になりました。
教員やったことある人はわかると思いますが、今この時代に全員が義務教育で集団で過ごすことに私は違和感があります。
むしろ違和感を感じない方がどうかしてるとさえ思います。
かと言って、「義務教育、学校をなくせ」とまでは思いません。
今の日本の教育で、かなりの学力が身につくことはすごいことだからです。
ただ、多様な生き方がある今の時代に、
- 子どもの選択肢が少ないこと
- 義務教育にかなりの負担がかかっていること
これらは問題なのかなと思います。
今の義務教育の構造がすぐに変わることもないですが、もっと個人を大事にできたらいいなと思います。
「何も考えずにただ教育課程に沿ってやる先生」と「時代をよんで子どもと接することができる先生」にはかなりの差ができるということ。
そして、後者の先生が増えるだけで、学校の雰囲気もかなり違ってくると思います。
学校教育、義務教育の制度を大きく変えることは難しいですし、すぐにはできません。
教員を含めた大人(親ももちろん含む)が、「時代は変わってきている」と知るだけでだいぶ変わると私は思います。
いつまでも「学校では軍隊な教育が良い」と考えている人が少なくなるといいなと思います。
まだ少なからずかなりいるような気がしますので。
*教員も1人の人間。完璧でなくていいし、むしろ完璧じゃないことを教えること大事だと思う
→教員はスーパーマンにならなくていい
*一方で教員ならではの醍醐味もある。それは自分の子以外の子どもの成長に携われること
→教員の醍醐味は