新しい年度、春。
新卒で教員になって緊張している人
何年も講師をやった末に教員になれた人
異動になって新しい環境で不安な先生
子どもと同じように、教員にとっても春という季節はワクワクドキドキな季節です。
私はパニック障害とうつになって、教員を辞めてしまいましたが、それでもこの季節というのはワクワクします。
教員を辞めて3ヶ月経った先日、3年間見た部活の学年の子たちが高校卒業のタイミングで集まるということで、私もお誘いを受けました。
ちょっと行くのもためらったけど、私が休職する前に卒業した子たちだったので、そんなに気負いをせずに会うことに決めました。
それはとても楽しい時間でした。
教師の醍醐味は卒業していった子たちが、近況を知らせてくれること。
そして、その過程で成長を感じられること。
これに尽きるなと思いました。
教員の仕事は忙しくて、普段は大変ですが、努力の方向を間違わずに(←これめちゃくちゃポイント)一生懸命やれば、人の成長という最高の財産を得られます。
今回は普段忘れがちな「教員の醍醐味とは?」ということについてお話しします。
もくじ
たくさんの子どもとの出会いがある
教員は現場で仕事をしている限り、毎春に新入生を迎えます。
大規模校なら、毎春、数百人というところもあるでしょう。
教員以外にこんなに子どもと出会うことができる仕事が他にありますか?
しかも、公立小学校や中学校なら、よりいろんな生徒に出会えます。(高校はある程度、学力別や専門性があるので)
私が中高の保健体育の教員免許を持って、あえて大変な中学校を選んだのはこのためです。
もしかしたら、あなたと出会ったことがきっかけで、その子の人生に大きな影響(もちろんいい意味でも悪い意味でも)を与えられるかもしれません。
子どもたちの人生の1ピースになる可能性があるってとてもワクワクする仕事だと思います。
影響力を与えられる
たくさんの出会いがあり、そしてその新入生の学年を持たなくても、授業で担当するかもしれないですし、部活動で顧問になるかもしれないですし、委員会で担当するかもしれないですし、何で接点を持つかは分かりません。
基本的には接点が多ければ多いほど、あなたがその生徒への影響力を持つ可能性は高まりますが、ちょっとしたきっかけで、ちょっとした話題から大きな影響を与えることもあります。
私が先日あった部活の子たちは、学年も1年間担当、授業は3年間担当、部活動3年間顧問だったので比較的接点が多かったこともあります。
でも、何気ない私のちょっとしたことばを覚えているとか言われると、ドキッとします。
そんなことも覚えていたのかと。
実際、私が高校生卒業して、高校3年生の時の担任に本当ひとこと、「お前は教員になれ」って言われて、それだけで私も教員になりましたし。
(それまでは子ども嫌いで、運動は好きだけど、体育教員って道は選択肢になかった)
後日、その高3の時の担任に「なんで教員になれって言ったんですか?」と聞いたら、
「お前が先生やったら、いろんな意味で面白そうやん!」って笑
何が言いたいかというと、教員って子どもにとってはめちゃくちゃ影響力あるんですよ、いい意味でも悪い意味でも。
一生の仲間になれる可能性がある
私は、基本的には子どもが卒業したら、教員の仕事としての役目は終了かなと思っています。
あとは子ども次第。
人間は馴れ合いを求める生き物なので、卒業しても懐かしくてすぐ戻ってきます。
なので、教員もいつまでたっても思い出に浸っていてはいけないですし、今目の前にいる子どもたちに真正面から向き合う時間を作りたいものです。
次に行く場所では新たな教員もしくは大人がいますし、新しい世界があります。
そして、卒業するということは、入学するものがいるということ。
仕事としてやっていますので、現在の在校生に力を注ぐべきだなと思います。
そうやってある意味淡々と仕事をしていると、卒業してから一回も合わない子もいれば、(というか、一回も合わない方が普通)頻繁に会う子もいます。
変な言い方かもしれないけど、卒業してから一回も合わない子はいい意味で教員にとっても子どもにとっても縁がない子です。
きっと他に師匠や見本となる先輩を見つけることでしょう。
そして、卒業して頻繁に会う子はこれから仲間になる可能性があります。
先生と生徒という上下関係ではなく、1人の人間同士の対等な立場として。
ある本(名前忘れました)で「世代の違う友達、仲間を作れ」と聞いたことがあります。
ぼーっと生きていると、友達は同世代だけ、異世代は上下関係の上に成り立つものだけとなる可能性が高いです。
「教え子と1人の友人として付き合う」ということは、新しい価値観を取り入れたり、刺激ももらえるし、めちゃくちゃ大事なことだと思います。
これは私の密かな理想です。
教師としてではなく、1人の大人として接する
「最後に」でもないのですが(笑)、教員を辞めたものとして一つ言いたいことがあります。
それは普段から「教師としてではなく、1人の大人として接することを心がける」ことです。
教え子との理想の関係は、「学校教育の一員の教員」として子どもに接していても出来上がりません。
学校教育はどうしても「正しいこと」を教えたがります。
そして、大体のそれは正しいことではありません。
ただの学校教育のエゴなことが多いです。
例えば、
- 大きい声で挨拶しなさい
- 積極的になりなさい
- 外で遊びなさい
- 協調性を持って周りに迷惑をかけないようにしなさい
- 勉強も部活もどちらも頑張りなさい
冷静にいれば「それ嫌いな子や苦手な子もいるし、これからの世の中で必要かって言ったらそうでもない」ってわかるんですけど、学校の教師やっているとそうじゃなくなってくるんですよ、残念ながら。
教員は1人で大勢を見なくちゃいけないという環境にあるから、つい自分が都合いいように、やりやすいように言ってしまいます。
私もそうでした。
だんだん違和感が出てくるようになって、本当の自分と教員の自分が対立するようになって、体調を崩しました。
「教員でも1人の大人」として、子どもと接することを心がけていれば…と今でも思います。
現場にいる方にはぜひ、1人の大人として子どもと接してあげてほしいなと思います。
教員の醍醐味は正しい方向に一生懸命に努力することで得られる
先日の卒業生と会ってから、今いろいろ感じられるのは、自分で言うのもなんですが、この子たちにその時なりに自分ができることで真正面から向き合ったからだと思います。
教員の醍醐味は一生懸命に子どもと向き合うからこそ感じられるものであり、それはすぐにではなくて何年も時間が経ってから訪れるものだということも感じました。
私は教員を辞めてしまいましたが、教員をやっていた8年間は自分なりにがむしゃらにやってきた自信はあります。
でも、そのやり方が正しかったとは思いません。
今振り返ると「もっとこうしたらよかったな」と思うことはたくさんあります。
そして、自分の考えていることが、多くの生徒に響いたとも思っていません。
むしろ、「うっとうしい」とか「覚えてない」っていう生徒の方が多いと思います。
教員の仕事は一生懸命やっても、響かないことも多いし、必ず報われるとは限りません。
でも、こうやって卒業して、近況報告をして、成長を感じられる子が1人でもいたなら自分は教員を辞めたけど、教員をやっていてよかったなと思います。
そして、面白いのはいつ報告が来るか分からないこと。
今回は3年という早い段階で来たけど、もしかしたら10年後、30年後とかの可能性もあります。
その楽しみが持てるのは、どれだけ長い間教員として勤めたかではなく、その時一生懸命にやったかだと私は思います。
いつ報われるか分からない、報われるかどうかもわからない。
報われるという表現自体が正しくないかもしれませんが、教員の醍醐味は人の成長した姿を見ることができること自体なのかもしれません。
*1人の大人、人間として、教員も弱さを見せていい
→教員はスーパーマンにならなくていい
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