教員の仕事は砂のお城を作ることに似てる

 

どうも、中学校教師をパニック障害、うつ状態で退職したみほです。

今日は仕事観について話してみたいと思います。

 

私が教員になった理由はこちらの記事にも書いたのですが、簡単に言うと、きっかけは高3の時の担任に「お前は教員になれ」って言われたからなんですね。

それでなっちゃうから何とも単純。

まぁ、後付けの理由で「自分が一生懸命やることで未来の子どものためにもなるし、純粋な気持ちで頑張れるような気がしたから」なんですよね。

汚い気持ちにならなくて済むというか。利益追及ではなく、人の成長に真正面から向き合えるから。

 

いざ働いてみると、初めのうちはわからないことだらけなので、先生をすることでいっぱいいっぱいですが、徐々に周りを見られるようになります。

そこで思ったのが、教員も結局は国の組織の一部だということ。

国の調査のための学力調査があって、その数字を上げるために練習したり、学力だけではなくて、いろんなアンケートもしょっちゅうあって集計は学校でやったり。

 

教員の仕事は砂のお城を作ることに似てる

話は変わりますが、私は8年間教員として働きましたが、8年働いたからといって仕事を覚えて楽になったという感じはありませんでした。

そこで思ったのが、これ30年やってもきっと仕事は楽にならないし、むしろつらくなっていく一方な気がしました。直感ですけど。

現に30年教員やっている50歳過ぎの先生をみていて、余裕があるかというとそんな感じは全くありませんでした。

校長は校長室にいて、職員室には教頭、教務、教員がいますが、みんながみんな自分の仕事でいっぱいいっぱい。

 

なぜ教員の仕事は経験を積んでも楽にならないのか。

教員の仕事は砂のお城を作ることに似ている気がします。

 

作ったら壊して、また作っては壊して。

お城の作り方はわかるけど、うまくいっても3年ごとにリセットされる。

もちろん、お城が出来上がった時の喜びもある。

3年かけてできたお城はすごく嬉しいけど、壊さなくてはいけない。

 

これをずっと繰り返す感じ。

教員の仕事は毎回毎回新しい発見なので、それもそれで新鮮です。

経験が全く役に立たないわけではないけど、定年までの40年間、定期的に壊さなければいけない砂のお城を作るのに必死。

生身の人間を相手にしている以上、仕方のないことだけど、経験が蓄積されるというより、思い出が蓄積されるという感じです。

経験を積んでも、それが活かされるかどうかわからない世界。砂のお城がいつ壊されるかわからない世界。それが教員の世界。

 

経験が自動化される仕事がしたい

私が教員を辞めた理由はこの理由以外にもいろいろありますが、単純に気力的にも体力的にも教員に復帰できるような気が全くしませんでした。

50代の先生の働き方を見て、経験を積んでも楽にならない。変わらない給特法、国が提案した教員の変形労働時間制。

教員を取り巻く環境はますます大変になると思うんですね。

 

世の中は経験を積めば自動化できることが多いです。

人間が自転車に乗ることにしても、

乗れない

補助輪付きで乗れる

なんとか乗れる

無意識に乗れる

という段階があるように、最後は無意識にできる段階にきます。

経験ってこういうことだと思うんですよね。

インターネットでは、一度仕組みを作ってしまえば、人間の意識がいらないです。

 

私はどんなに砂のお城を作ることが好きでも、それを壊して作るの繰り返すを40年もできない性格でして。

お城は簡単に作れるようにして、残りの時間は、次は川を作って水を流して遊びたいです。

 

 

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