こんにちは、みほ@miho1araです。
公立中学校の保健体育の先生を8年やっていましたが、パニック障害、うつになり、休職をへて、退職いたしました。
この記事は、私がどのようにパニック障害からうつにおちいったかと記録を書いております。
簡単におさらいしますね。
- 2014年夏にプールの塩素の機械を触っていたら、異変が起き、人生はじめての過呼吸
- その1ヶ月後、なんでもない時に再び過呼吸
- やっと病院に行き、抗不安薬を処方
- 抗不安薬のおかげか、約2年間は何も起こらず過ごせてしまい、大丈夫かと思って勝手に薬をやめる
- 2016年夏、高速道路で久しぶりに過呼吸寸前を味わう
詳しい内容が気になる方はこちらの記事から順番にお読みください。
一つ一つは短いので、サクッと読めると思います。
以上のように、パニック発作などはたまーに出ていて、はじめて過呼吸になるまでの過去の自分よりも不安感は強くなりましたが、気持ちがうつっぽくなるようなことはありませんでした。
しかし、このあと、私はうつ状態に突入していきます。
今回からの記事は、どのようにうつ状態に突入していったかを書いていきます。
自分勝手なプレッシャーで自分を苦しめる
私の教員としての目標は「3年間持ち上がって、卒業させること」でした。
このままいけばその目標達成ができたであろう2016年度。
この年は
- 中3担任
- 部活動主顧問
- 生徒会主顧問
- 免許外教科指導(小規模校なので)
などが、主な仕事でした。
初めての中3担任だったのですが、一緒に今まで持ち上がってやってきた心強い人たちが次々と異動。
心の支えを正直失っていましたが、1年の時から見ているという愛情があり、「いい卒業式を迎えるぞー!」
と意気込んでいました。
そして中学校最上級生なので、「最後いい姿を後輩に見せてあげられるようにしなければ」と、特に9月はじめの運動会、10月末の合唱コンクールは、今まで以上に頑張らなければいけないと思いました。
ただ、この自分勝手なプレッシャーが私を苦しめました。
急に夜中に目が覚めるようになってしまう
9月はじめの運動会に向けて、8月下旬から運動会のリーダーたちが練習をし始めるのですが、その頃から急に夜中に目が覚めて眠れなくなりました。
毎日3時半ごろに目覚めて、それから眠れない。
そして、日に日に目覚める時間が早くなりました。
いつもなら眠れない日があっても、数日間でおさまりますが、この時はおさまりませんでした。
頭が働かなくなり、感情をも失う
そして9月になって学校の授業が始まり、運動会練習が本格的に始まリました。
1日外にいて、疲れているはずなのに、あいかわらず夜中3時ごろ目が覚めてそのあと眠れない日々が続きました。
睡眠不足で、日中は後頭部に違和感を感じました。
担任として、体育科として、運動会練習では終わりにリーダーの子ども達にアドバイスしなきゃいけないのに、全然頭が働かず、考えられない。
自分に鞭を打って、何とか運動会まで迎えましたが、頭が働かないので、感情も湧かなくなってきていました。
この学年を持つようになって感動してよく泣くようになった私が、3年間見てきた子ども達の最後の運動会に、なぜか感動できませんでした。
運動会が終わっても夜中に目が覚める
そして、まず一つの関門、運動会が終わったので、さすがに眠れるかなと思いましたが、プレッシャーのかかる運動会が終わってもぐっすり眠れる日は来ませんでした。
運動会が終わっても、毎日、夜中に目が覚めました。
私は生徒会の主担当もしていましたので、9月の運動会が終わると、すぐに11月はじめの文化祭のために生徒を動かす必要がありました。
仕事はてんこ盛り、しかし睡眠不足で体力は低下していく一方でした。
この時はまだうつっぽい気持ちはありませんでした。
ただただ眠れるようになりたい。
そんな思いで、心療内科の門を叩くのでした。
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