私はプール事件をきっかけにパニック障害、うつ状態になり、この頃からあきらかに体調が崩れていったとブログを読んでくれている人はそう思っているはずです。
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でも、実はそれよりも前に危なかった時期があったんです。
今思えば、うつだったんだけど、根性で乗り切って我慢した感じ。
今日はその時のことをお話ししようと思います。
もくじ
胃痛?でもこのとき「うつ」を知らなかった
関東で勤務をしていたときの話。
初任校をまさかの3年で異動となり、当時初の中1の担任を持っていた私は、校長から異動の話を聞いたときは、ショックでした。
でも、異動は異動。
気持ちを入れ替えて新しい学校へ赴任すると、中2の担任。
私の授業はこのとき女子の体育のみ。
しかし、自分のクラスの女子が1番運動苦手な感じで1番重かったんですよね。
秋くらいから、同じ内容でも他のクラスだとうまくいくけど、自分のクラスだとうまくいかないなと感じるようになりました。
うまくいかないなと思っている雰囲気を自分も出してしまったし、生徒も感じたでしょうね。
そうすると、クラスの他の場面でも伝染して、クラスも少しずつ崩れていくのが目に見えてわかりました。
毎週3時間ある自分のクラスの体育が苦痛になりました。
そして、ちょうど自分のクラスの体育の授業の前が空き時間な曜日がありまして、その日胃のあたりがめちゃくちゃ痛かったんです。
「嫌だなぁ、嫌だなぁ」
っ思っていたからかもしれません。
見かねた隣の先生が「病院行ってこいよ」と。
我慢するか、病院行くか悩んだ結果、帰って病院に行きました。
内科に行ったけど、異常はなく、帰ったら楽になりました。
このとき、ストレスで胃が痛くなることとか知らなかったんですよね。
もしかしたら、認めたくなかったのかな。
それでも次の日からも、自分のクラスの授業はあるし、クラスはどんどんしんどい状態に。
ひとり暮らしをしていたのですが、
- 朝早く起きてしまう
- ご飯作れない
- 毎日惣菜を買ってくる
- ご飯美味しくない
- 洗い物何日間も放置する
- 帰ってきたら呼吸するだけで精一杯
家では廃人のようでしたね。この状態が3ヶ月以上続きました。
そして、今思うとたぶん普通にうつだったと思います。
なぜこの時、根性で我慢することができたのか
年齢はこの年は26歳、若いとは言え、今思えば教員やってて1番つらかった年でした。プラス、ひとり暮らしで孤独。
めっちゃつらかったのに、我慢して最後まで勤めあげました。
でも、きっとうつだったのに、なぜこのとき根性で我慢できたのか。
終わりが分かっていた
実はこの年、地元の教員採用試験を経験者枠で受験していて、受かってたんですね。
それが秋には分かっていました。私は地元愛が強すぎるので「春になれば、環境は全て変わる」と思ったら、それなりにこのときはつらくてもやり過ごすことができました。
これはマジで根性と我慢です。
相談できていた
この頃から、毎週日曜20時になぜか母親と電話するという習慣ができまして、学校のことは母親は分からないので、私が悩んでいることを話すわけじゃないんですけど、声を聞いて安心していたんですかね。
あとは、学校に信頼している先生がいて、その先生と二人でいろんなことをしゃべっていたので、自然と相談していました。
そして、無理のない具体的な方法も提案してくれて、いろいろ気にしてくれて心強かったです。
楽しみがあった
実は部活の大会が楽しみだったんですね。部活嫌いの私ですが(笑)
県大会の出場が決まってて、私なりには嬉しかったんですよ。
しかも、私がやる部活なんで、楽しむがモットーで。
この後の上位大会をかけての大会じゃなかったですが、すごく楽しませてもらいました。
この大会が終わるまでは、これを楽しみになんとか生きていたけど、終わったら抜け殻感がやばかったです。
大会のあとはもう根性と我慢です。
それくらい、この大会まで私の心に潤いを与えてくれました。
うつを知らなかった
これが結構大きいと思うのですが、当時うつという病気を知らなかったというか、知識が全然ありませんでした。
ストレスで体に異常が起こることは自分にはないって勝手に思ってたんだと思います。
プール事件で初めて過呼吸になって、精神科に行くようになって、自分が体験して、自分にもそんなことが起こるんだって、そこでやっと理解ができたんだと思います。
だから、このときは自分がうつになるはずないって自然と根性出して我慢してたのかなと。
うつを根性で我慢しても命削ってることに変わりない
こんなことがありながら、3月が近づくにつれて、クラスの様子もよくなってきてきたこともあり、この1年最後まで無事に勤めることができました。
今思うと、本当よく乗り越えたなと思うほど、自分自身のうつのメモリはこの時にかなり消耗してたと思います。
「自分はうつになるわけない」とか「うつは自分には関係ない」って思ってると確かに乗り越えられるかもしれないけど、いつプツンと緊張の糸が切れるか分からないし、マジで危険だなと思います。
この話は2010年ごろの話で、今では「誰でもうつになる」可能性があることは広く認知されるようになったので、調子が悪かったら我慢しないでほしいし、無理しないでほしいです。
3月まできちんと勤めあげたことはいいことかもしれないけど、自分の体調のことを考えたら、うつを根性で乗り切って我慢しても自分の命削ってるだけです。
「自分は大丈夫」「自分は関係ない」
って思ってる人、本当に注意してくださいね。
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